溢れる情報に翻弄される今日の投資家
世界が大きな問題に直面しています。
更に悪化していく事態に備えようと、手当たり次第、あらゆる経済雑誌を読み漁っている投資家でさえも、この流れについていくのは簡単なことではありません。中には、500以上のオープン・ポジションがあるポートフォリオを持つ投資家さえいます。
ヘッジファンドのポートフォリオではありません。これは個人投資家の話です。
情報に振り回されている人もたくさんいます。時代に乗り遅れまいと、奮闘している間に、矛盾するたくさんのアラートや記事を読むことに時間を費やし、分刻み、秒単位で自分の時間が失われていくのです。
しかし、私たちの人生は本来こうあるべきではありません。
情報さえあれば、今よりも良い投資家になれるのでしょうか。そうではないでしょう。
1990年代、私たちは株の情報を新聞から得ていました。今ではあまり使われなくなってきた表現ですが、当時の新聞の見出しには「インターネット」の文字が多く見受けられました。
最近では、金融アナリストが今後の予想を描くときに皮肉を込めて使うことがあるくらいです。
当時は、高速データ通信とコミュニケーションが、世界を変えるだろうと期待されていて、ダイヤルアップ式のモデムスピードは、1秒につき28 KBでした
今のスマートフォンの秒速60メガバイト(Mbps)と比べてみると、1990年代当時のダイヤル式のモデムは秒速0.028 Mbpsだったのです。私たちは以前よりも速いスピードで情報にアクセスしてます。
1970年当時、未来主義者であるアルビン・トフラーは、「フューチャー・ショック」という著書(1982年中公文庫 M 178より翻訳版を発行「未来の衝撃」)で、「情報過多」という概念を一般化させました。これは「インターネット」やダイヤル式のモデムが登場する以前、情報が現在のようにスピード化されるよりも前に書かれました。
実際、これまでの5,000年間の情報量よりも昨年1年間の情報の方が多かったのです。
このように私たちは情報で溢れた世界に生きています。
神経医学博士のダニエル・リーバイティンは、脳は、近代社会に適応できるほどは進化していないと指摘しています。少なくとも、毎日秒刻みで供給される情報を処理するようにはできていない。情報のすべてを処理し、理解するなんてとんでもない話です。
私たちは分析麻痺状態に陥り、「データの霧」の中で窒息しかかっています。
ジャーナリストで作家である、デイビット・シェンクは1997年に“Information, once rare and cherished like caviar, is now plentiful and taken for granted like potatoes.”「かつては珍しく、キャビアのように重宝されていた情報も、今は豊富にあり、まるでポテトのように珍しくないのものだと思われている。」
結果、その情報がフィクションなのか、事実なのかを分けるのが難しくなり、私たちは「ポスト真実」と「フェイク・ニュース」と奮闘する日々を過ごしています。
情報は、多ければよいというわけではなく、情報過多が決断に悪影響を及ぼすことがあるのです。
銀行の融資担当者の調査によると、情報が多すぎると、意思決定に時間がかかり、破産予測の精度が低下したり、投資家の場合には、どのように資産配分したらいいのか悩んでしまうという研究結果もあります。
何をすべきかわからないので、何もできない、もしくは、自分には適していないかもしれないデフォルトの設定を選択してしまいかねません。
2013年の10月に、米国証券取引委員会は投資家の情報過多な状況を重く受け止めました。議長のメアリー・ジョー・ホワイトは膨大な情報が会社の決算情報に掲載されている為、投資家が必要な情報を見つけにくくなっていると指摘しました。
しかし、多くの投資家からの反応は、逆で今よりももっと多くの情報を必要としていたのです。
複雑な決定をするとき、より良い決断をするためには情報量が必要だと感じることがあります。ですが、実際には、情報が多過ぎることは、情報がないのと同じくらい危険なのです。
適正価格で評価しましょう。同時に、投資を始めた理由が「愛する人との人生を楽しむため」だったことも覚えていてくださいね。
ハイリターンを願って。
マシュー・カー