米国配当株投資

数千ドルの損失を回避した方法

1999~2000年頃。当時、ドットコムバブルの真っ只中。

私はサンフランシスコのスタートアップ企業で働いていました。

かなり早い時期に入社したので、多くのストックオプション*を受け取っていました。
(*会社が決めた価格で自社株を購入できる権利。例えば、「今後3年間、自社の株を1株1,000円で購入できる権利(ストックオプション)」を付与された時、その企業の株価が3,000円に上がったとしても3年間は1,000円で購入することができる。)

他のドットコム企業と同様に、私の会社も収益はわずかしかありませんでしたが、それでも事業をどんどん拡大していきました。

ニューヨークとロンドンにオフィスを開設し、毎週月曜日にベーグル、木曜日にピザを食べ、金曜日の午後には、樽の量のビールを飲む。そして、休憩室ではよくテーブルゲームをしていました。

その時には社員は、150人くらいに増えていたと思います。

しかし…

どんどんプライベート・エクイティ*の資金が枯渇し、他の多くのドットコム企業と同じようにすべてが崩壊していきました。
(*未公開企業や不動産に対して行なう投資)

 

結局私は、2002年に解雇されてしまいました。今ではスタートアップ企業にいた3年間は、素晴らしい人たちと出会えた、楽しい学習期間だったと思うようにしています。

そして、それから19年が経ちました。

なんと、私がいた会社はビジネスモデルを変えて生き残っていました。そして、2021年の初めにその会社が証券取引所に上場されることを知りました。

ゴールドマン・サックスが引受人となり、新規公開(IPO)価格は50ドルでつけられていました。

私が受け取っていた何万ものストックオプションの権利は、もちろんすでになくなっていましたが、その会社で働いていた時にほんの少しだけ権利を行使していましたので、いくらか株式は持っていました。

CEOを知っていた私は、会社の財務状況を確認し、上場した日の午前9時31分に持っている株を売ろうと思っていました。

しかし、私の株式は6ヶ月間の売却制限がかけられていました。私は会社の内部関係者、つまりインサイダーとして見られていたのです。

会社の弁護士たちに、私は20年近くこの会社で働いていないので、インサイダーには該当しないと訴えました。

当然ながら、彼らは受け入れてくれませんでした。

その株は77ドルで取引を開始し、その日遅く82ドル弱の高値をつけ、長い下降を始めました。私は、なすすべもなく見ているだけでした。

売却の制限が解除された時には、その株価は33ドルにまで下がっていました。

株価は30ドル台前半で何度か反発して上昇していたため、その価格帯がサポートライン*になっていました。
(*相場がこれ以上下落しないという認識を持ちやすい価格帯)

私は株価が回復するチャンスを待とうと思っていたのですが、株価がサポートラインより下回ることを懸念しました。もし、33ドルのサポートラインを突き抜けて下落してしまったら、どんどん下がっていくと思ったので、損切りラインを32ドルにしました。

以前勤務していた会社の株価がサポートラインを割り込む

その後、悪い収益報告で発表されて株価は急落し、現在約21ドルで取引されています。

私は損切りラインを設定したことによって数千ドルの損を回避したのです。

もし、損切りラインを設定していなかったら、「もうすぐ決算が出るので、様子を見てみよう」と自分に言い聞かせていたかもしれません。

あるいは「安値では売却しない。絶対に少し反発するはずだ」と思っていたかもしれません。

損切りラインを設定することで、感情に流されずに売却の決定をすることができます。

株式を購入する際には必ず出口戦略を持っておきましょう。そうすれば、株価がさらに下落する前に売却することができます。

良い投資を。

マーク

Marc Lichtenfeld(マーク・リクテンフェルド)

Oxford Club チーフ・インカム・ストラテジスト。ウォール・ストリートを含め25年の経験のある配当投資の専門家。「Get Rich with Dividends(邦題:日本人の知らない秘密の収入源 年100回配当投資術)」著者。2013年に配当投資の専門誌Oxfordインカム・レターを創刊し、世界中に読者を持ち有料購読者は8万人を超える。FOX、CNBC、Forbesなどの有名メディアはもちろん、BloombergやBarrons、The Wall Street Journalといった権威ある金融専門メディアにも多数出演。 マークの記事一覧 ≫

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