米国アナリストが考える“真の裕福”とは?
あなたにとって、「裕福である」とは何でしょうか?
はっきりとした答えはすぐに出てこないかもしれません。
しかし、資産形成をしていく上では「裕福さとは何か?」
という問いは避けては通れないでしょう。
今日は、その答えのヒントとなるような、同僚のレベッカの記事をご紹介します。
レベッカにこの質問をされた時の、私の答えも載っていますので、ぜひご覧ください。
レベッカ・バーショップ
The Oxford Club シニア・マネージング・エディター
「あなたは自分のことを裕福だと思いますか?」
こう聞かれると、答えに困るかもしれません。
また、「何をもって裕福とするか?」は人によって異なります。
それは現在の年齢、生まれた世代、ご両親の育て方、
生活習慣などさまざまな要素が影響するでしょう。
そして、あなた個人にとって、
裕福さの概念でさえ年々変化するかもしれません。
しかし、「裕福さとは何か?」について、
じっくりと考えるべき時が来ています。
真の裕福さとは何でしょうか?
私たちは裕福になることで、何を達成しようとしているのでしょうか?
そして裕福さを手に入れるにはどうしたらよいのでしょうか?
裕福になるためにはいくら必要か?
下の図は、チャールズ・シュワブ社の「2021年現代の豊かさに関する調査」
の結果をまとめたものです。
「経済的に快適な生活」「経済的な幸福感」「裕福さ」を手に入れる、
またはそう感じるためには平均でどれくらいの純資産が必要なのか?がまとめられています。
このように、「経済的に快適な生活」、つまり日常生活に置いて、金銭面で全く苦労しないで済むためには、平均62万4,000ドルの純資産が必要になります。
次の「経済面の幸福感」つまりそのような生活にさらに幸福感を得るための平均純資産は110万ドルに増えます。
そして、「裕福さ」を感じるためには平均190万ドルもの純資産が必要となるのです。
コロナ禍の影響で、これらの数値は2020年の調査から大幅に下がりました。
しかしそれでも、懸命に働く人たちにとっては、
まだ手が届かない金額です。
実際、FRB(米連邦準備制度理事会)の「2019年の消費者の財政調査」によると、
コロナ禍前の米国世帯の平均純資産は74万8,000ドルで、
これは、「裕福さを得るために必要な額」の半分にも達していません。
また、2019年の米国世帯にの純資産の中央値は、わずか12万1,700ドルでした。
つまり、アメリカ人のほとんどが、経済的な快適さや経済面からの幸福感を得られるレベルから程遠い生活をしていることがわかります。
それでは多くの人々は裕福にはなれないのでしょうか?
いいえ、これらの数字だけでは、裕福さについて結論を出すことはできないと思います。
なぜなら、そのようなレベルで生活をしている人の中でも
「裕福さ」を感じている人はいるはずだからです。
裕福とは何か?
今回の調査で聞いてみたかった質問はこれです。
「あなたにとって裕福とは何ですか?」
もちろん、私たちOxford Clubは、
あなたが資産形成できること、そしてそのお手伝いをすることを目標としています。
しかし、それ同時に社会、文化、精神、情緒の面でも最高の人生を送ってほしいのです。
裕福さによって得られるのは経済的な豊かさだけではありません。
経済的なことを気にしなければいけない生活からも解放されます。
そのことを確かめるため、
Oxford Clubのストラテジストたちに「あなたにとって裕福とは?」という質問をしてみました。
あなたにいつもメールマガジンをお届けしている、
チーフ・トレンド・スタラテジストのマシュー・カーの答えは次のようなものでした。
「私にとっての裕福であるとは、単にお金や財産が十分にあることではありません。私にとって裕福であるとは、貪欲さや誰よりも多くのものを蓄えることではなく、人生を楽しみ、自分が一番幸福だと思えていることです。そして、それを自由に追求できることが何よりも理想的なことなのです。
自由とは、心配や不安、将来への不安から解放されることです。
貧しくてもそれは可能かもしれません。私は貧乏な時も経験しました。
しかし、このように人生を楽しめている時期は確かに裕福であり、自由を感じることができていたのです」
また、エンジニアリング・ストラテジストのデビッド・フェスラーは、裕福さについてこのような特別な考えを持っています。
「私には妻がいます。1988年、まだ結婚していなかった頃、妻のアンが額に入れてプレゼントしてくれた言葉があります。『裕福とは、どれだけ持っているかではなく…どこへ行こうとしているかでもなく…自分が何者であるかでもありません。裕福とは、誰があなたのそばにいるかということです。』 それ以来、彼女は良い時も悪い時もずっと私のそばにいてくれました。誰が言い出したのかわかりませんが、この言葉は私の心に響きました。どんなにお金があっても、幸せにはなれません。人生を共にする人がいれば、それだけで豊かになれます。あとは自分でどうにかできるものです。もちろん、資金形成は大切です。しかし、例えお金をたくさん持っていても、人生を共にする人がいなければ、必ずしも裕福にはなれません」
裕福になるために…
さて、あなたはどうでしょうか?
裕福さには値段がありません。
例えば、銀行口座にお金が増えることで安心感が得られるのであれば、それには画面上に表示される数字以上の価値があると言えるでしょう。
経済的な安定にはいくつかの段階があります。
それは人を
「現金を持っていない」
「ある程度の現金を持っている」
「十分な現金を持っている」
という3つのカテゴリーに分けるというものです。
そしてどのカテゴリーに属するかで、経済的な安定の度合いをみるのです。
しかし、このような調査が示す純資産の統計値だけでは裕福さはわかりません。
なので、純資産が一定の基準値に達していないので「劣っている」と感じる必要はないのです。
投資は資産を形成するための有効な方法の1つです。
しかし、資産形成だけが自分の人生の目標になっては、裕福にはなれないでしょう。
資産形成を通じて、文化、精神、情緒の面でも豊かになることが大切なのです。
良い投資を。
レベッカ
~編集部コメント~
確かに、お金がたくさんあることは
「裕福」であることに、繋がらないかもしれませんね。
ただ、やっぱり老後生活のための
お金がないと不安だな…
もしそんなことを感じているなら…
ここから資産形成をスタートさせませんか?